かけがえのない健康に 60年超の実績『寿元』とは? ~寿元先生編②~

かけがえのない健康に 60年超の実績『寿元』とは? ~寿元先生編②~



寿元だけでは健康になれない?寿元先生の教えを説く「心の二十二訓」


寿元先生は、精力的に全国を行脚して健康をテーマに講演をしましたが、寿元は健康の土台にはなり得ても、寿元だけで健康になるという考えが通づるほど単純ではないという考えから、食養を中心とした食生活習慣についてはもちろんのこと、とりわけ体の主(あるじ)である「心の健康」に主眼をおき、説いて周りました。
闘病の労苦や長い人生経験にもとづいた情熱的な語り口が人々の胸を打ち、人生道場めいた醸し出される雰囲気は、聞く人を惹きつけるものがありました。






自身の闘病の労苦はもちろん、実業家としてだけでなく、書家や歌人としても一流の才能を持ち、その人脈や様々な状況から得た豊富な人生経験によって寿元先生が綴り、人々に説いたものをまとめた教えに「心の二十二訓」というものがあります。
消極的に健康を保持するということではなく、病気を寄せ付けない積極的な健康獲得法として、また単に闘病者の心得のみならず、広く処世への生き方を示すものとしてまとめられたものですので、以下にご紹介します。




心の二十二訓


一、心はいつも平静に保て・・・心は、自分から発するものであっても、自分の自由にならない不思議なものである。ちょっとした人の風説にもグラグラ揺らぐし、止めようとしても容易に止められない弱さもある。どんな時でも騒がず、慌てず、常に心の平静を失わないようにしたいものである。

二、何ごとにも感謝の心で・・・与えられたとか、与えられないとかの問題ではない。苦難や過酷な試練など、自然や自然現象に対し、そして毎日いただく“食物”に対しても、いつも感謝できる心があればーと思うのである。

三、病気を怨まず闘病心を持て・・・治療の道で、最も大事なことは闘病心であり、“きっと自分の力で治してみせる”という信念が、自然治癒に繋がっていくのである。病気を怨みながら過ごすのではなく、“死んでたまるか”の信念で生きていただきたいと思う。

四、病気に対して感謝の心を持て・・・感謝と怨みは、全く逆の関係にあるが、その感謝の“働き”は、怨みの何倍もの力を持っている。とは言え、現実に自分を苦しめている病気に対して感謝することが、いかに至難であるかは察するに余りある。これには、病人が心から納得できるまでの話し合いが必要である。話をする人間の心が、病人の心と一体となり、互いに涙を流して感謝し合う心が如実に感じられた時、病気に対する怨みは感謝の気持ちに変わるのである。

五、我も人も神の子である・・・生命の本質は、永遠に自由で、楽しく、豊かで、美しい。“今ここに存在する”ことの意義と、実相を知らねばならない。そして、我も、人も、神の子であることを悟らねばならない。肉体を我と思うことは、その肉体によって全てが左右される危険を知るべきである。

六、生命は神に帰一する・・・人間は、自然体であり、自然に生き、自然に死し、そして、神に帰一する。生命尊重が何より最優先することも、また当然と言わねばならない。科学がいかに発達しても、人間を作ることは不可能である。

七、自然の如く無心になれ・・・“明鏡止水”という言葉もあるが、花も風も、雨も雪も、全て無心である。春夏秋冬も、また無心なのである。自然が無心であれば、人もまた無心を尊ぶべきである。花を生けるにも、茶をたてるにも、剣の道、弓の道も、禅の道も、その境地は無心でなければならないと思う。

八、自然に逆らわず順応せ・・・自然もまた神と思い、自然に順応することは、生命を尊ぶことになる。大自然は、生けるものに最高の幸せを与えるものであって、いかなる人間の抵抗も、自然に抗うすべもない。自然を破壊する行為は、自らの死を意味する。発病の条件もまた、自然軽視の現れと思うべきである。

九、薬よりも自然治癒力を生かせ・・・現代医学の著しい進歩によって、治病に対して薬や注射、手術が全てであり、これに命を懸けるという依存心が一般化していることは憂慮すべきである。もっとも心すべきことは、自然治癒力の強化と闘病心ともいうべき意志力が重視されなければならないことである。食養の実践もその強い心から生まれてくる。

十、人、神、食の一体化を・・・神前に供えて恥ずかしくない食物を食べること、これを終生の行ないとして実行することは、即、自分の一生の幸せに結びつく道である。まず神意に叶うように精進し、人を愛し、人の幸せを願う心を持ち続け、そして、命の糧である食に対し、心から感謝していただくことこそ大事と思うべきである。

十一、心の破滅は肉体に影響する・・・心そのものは、健康の方向にも、病気の方向にも強烈に作用するもろ刃の役を持っている。愛に満ちた和合の雰囲気の内に食を摂ることは、人生の幸せであり、健康への道である。

十二、心次第で食性も変わる・・・食養の道によれば「血液の酸性化が万病の元である」と言われている。このため、アルカリ性の食を励行するように説かれているが人間の身体はそれほど単純なものではない。食物が、口から身体に入って、どのような過程をたどって完全に分解・吸収・排泄されるかのメカニズムは、その人がどんな心で食するかによって変わってくる。心の在り方で、食べたものが体内で変質することがわかり、信じられるならば、これも一生を通じてのありがたい教訓であろう。

十三、生命の神秘は解明できない・・・生命の神秘は、無理に解明しようと思うと、学問的になり過ぎたり、宗教的になったり、哲学的になったり、終局的には何もわからなくなって「・・・だろう」ということになる。生命そのものに対して、深遠な影響を与え、その変転を左右するものは、何といっても心であると思う。

十四、怒ったときは鏡を見よ・・・怒るということは、自然であるべき自分への反逆である。面相や心の問題ばかりか、血行や消化吸収だけでなく、全ての臓器に対しても決してよい影響を与えない。「怒った時は鏡を見よ」というが、それこそ一服の清涼剤である。「こんな顔なんか私じゃない」と気がつくはずである。

十五、常に笑顔を絶やすな・・・笑いは、健康のシンボルである。笑う赤ちゃんは健康で、発育もよい。感謝も笑いから生まれ、怒りからは生まれない。笑いは新陳代謝も促し、脳下垂体の働きをよくし、甲状腺を刺激、脂肪の分解を促進する。笑いは、人相もよくする。このようによいことずくめでは、「笑わにゃ損」ということになる。

十六、病気を治すのは自分である・・・手術をしたあと、縫合部がわずかの期間に接合するのは、医師の力でも、薬の力でもなく、自らの自然治癒力によるものである。治病の道も、自然治癒力と意志力とで、約72%以上の力があることを心に刻み込むべきである。自分の力で治すという「われ、医者なり」を忘れてはならない。

十七、心にわだかまりを持つな・・・病気とは「気を病む」と書く。人間の心は流動するからこそ、鍛錬次第で「悪」にもなれば「善」にもなる。外的要因によって混迷し、あるいは停滞する結果、適切な判断力を失わせ、ずるずると悪果に落ち込んでいく。心にわだかまりを持たぬことは、人生行路において、もっとも大切なことである。


十八、血行のよどみは病の元である・・・心のわだかまりが、発病の原因になることを知れば、人間の生命の根源である血液と、その循環が乱れ、さらに滞留して、不定愁訴的な影響が現れることは必然である。酸性食物を過食、美食した食養の誤りと、精神的な問題が忘れられているのは、ものの哀れすら感じられる。健康体は、常に、弱アルカリ性の血液を保っているのであって、食の誤りを正し、自己の自然治癒力の強化を計ることこそ、生命の根源を知り、人生の幸福をつかむことになるのではあるまいか。

十九、自惚れは人生の悪因になる・・・自惚れは、過信ともいえる。大切な人間関係もまた、自惚れから破壊におよぶことは、歴史が如実に物語っている。自惚れは自信ではない。人生において自惚れは、もっとも悪因となるものであり、人生の破綻は、自惚れの集積から生ずると考えるべきである。

二十、喜びは、まず人に与えよ・・・喜びは、人に与えてこそ、真の喜びであることを肝に銘じたい。喜びを私することは、自己満足であって、天の啓示を否定するものである。常に、人の幸せを願う心が先行しなければならず、先ず、自分が幸せになってから人に与えるという心は、真心とはいえない。しかし、与えた喜びや、幸せや感謝が、そのまま己にかえることを願う心は、悪徳なのである。真の人徳は、与えてかえらざることを本道とする。求めざるにもかかわらず、自然に還元される無心の余慶は、まさに、お賽銭であって、浄財ともいえる。こうした日々の行動が、正しい人間形成の元となっていくのではあるまいか。

二十一、往生の喜びを体得せよ・・・人間は、生まれたら必ず死ななければならない。生き甲斐のある生涯を送ろうと努力する人はあれど、死という絶対現実に対して、それほど深く考えている人は少ないようである。もっとも大事なことは、いかに人間らしい生き方をするかであり、この与えられた僅かの寿命において、何かを後世に残すことこそ、究極の願いでなくてはならないと思う。二度とないこの人生において、心を磨かなければならない。それは不滅の境地を作る道であり、往生の喜びを体得する悟りである。健康は一生の宝。常日頃、食養を守り続けることこそ、自分を大切にする最高の人生道と信ずる。

二十二、出ずるを喜び入るを慎む・・・現代の世相は、「入るを計り、出ずるを制す」といい、それが経済原則のように伝えられているが、人間としての正しい心は、「出ずるを喜び、入るを慎む」ことこそ処世の大本であることを信じなければならないと思う。それは、決して金銭だけの問題ではない。物も、名声も、地位も同じことであり、特に心すべきことは、食そのものについてである。入るを喜ぶ過食こそが、発病の一つの大きな原因になっていることであり、生涯を通じてもっとも慎まなければならないことであろう。これとは逆に、自然排泄は特に重視しなければならない。毎日、食した量より排便が多いと思われるような快適な排泄が望ましい。




人はそれぞれまったく同じ人生は2つとなく、時に見舞われる病気や症状も、その原因や身に降りかかった意味はそれぞれあるのかもしれません。


しかし多くの場合、病気や症状は、これまでの自身の食生活習慣の誤りや自然法則からのズレを教えてくれるシグナルであったり、
一人一人が体の中に宿している自然治癒力の働きによって、正常に戻るように戦ってくれている最中であることをまず理解した上で対応する必要があります。


もし私たちの身体が自分自身の体である前に、大自然からの大切な借り物であるとするならば、借り物の身体を粗末に扱うことはせず、綺麗にお返しできるよう毎日大切に扱いたいものですよね。


そうした日々の養生の積み重ねに身体はしっかりと応えて、末永く付き合ってくれるもののようです。


身体に感謝し、食物や自然に感謝し、心通わせる周囲の人たちに感謝して、夢や目標に向かって日々の大切な時間を心身健やかに過ごせることは、まさに幸せなことです。


ぜひ上記の「心の二十二訓」も皆さまの健康増進に、一つの参考にしていただけたら幸いです。


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